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光の軌跡追う流れ星

【記録用】藤井流星くんに担降りした話






5月5日、わたしは担降りをした。元担の団扇を降ろして、流星くんの団扇を持った。きらきら輝く流星くんの担当を名乗りたいと思った。と言うか、もう嘘はつきたくなかった。

遡ること3年前、わたしはジャニヲタになった。担当は重岡大毅くん。きっかけは確か少クラで関ジュ通信(名前が定かでない)を見て、重岡くんに一目惚れした。あの笑顔とあどけなさが好きで、でも歌うとかっこよくて。みるみるうちに好きになった。その年の夏松竹と日生は行けなくて、でもグッズを買いにわざわざ日生まで行った。公開された映画は4枚前売りを買ってわざわざ車で2時間かけて見に行った。この頃みんなに「ジャニーズ好きなの?誰好き?」「重岡くん!」「え、誰?」って言われたのも今ではいい思い出(笑)

そしてその年の冬松竹で、重岡くんはソロコンサートをした。漠然と「ああ、重岡くんはもうそろそろデビューするんだな」って思った。そしてそれは元旦に現実となった。そこに流星くんは、いなかったけど。

テレビの前で愕然とした。嬉しいことなのに喜んじゃいけない雰囲気が嫌だった。重岡くんはずっとデビューしたくて頑張ってたのに、笑えないデビューになったのがつらかった。そしてその日のうちにデビュー記念公演が日生劇場であることが発表された。初めて自分でチケットを取った。笑えてない重岡くんに、それでもわたしは重岡くんがデビューしてくれてうれしいよって伝えたかった。

2月5日、ジャニーズWESTの7人でのデビューが決まった。次の日のニュースで見た重岡くんは笑顔だった。嬉しくて泣いた。初めて他人のことで嬉しくて泣いた。心置きなく重岡くんを見に行けると思ってた。

日生に行って、重岡くんを見た。きらきらしていた。でももうひとり、目で追ったメンバーがいた。藤井流星くんだった。

ジュニア時代、わたしは流星くんをそんなに好きではなかった。好きでないというより、興味がなかった。よく流星くんに「(性格が)似てるね」って言われるけど、それ以上でもそれ以下でもなく、興味がない。かっこいいと思うけど、興味がない。要するに、興味がない存在だった(ごめんなさい)。

でもあの日、生で流星くんを見て絶句した。輝きすぎて。「こんなにかっこいいひとが世の中にいるのか、、、」と。芝居、歌、ダンス、トーク、どれも素敵だった。家に帰ってから、ひたすら流星くんの画像を探したのは言うまでもない。

でも結局、それからもずるずると重岡担をしていた。日生で流星くんに降りるかと思いきや、その後のなにわともあれほんまにありがとう新橋公演でまた重岡くんに引き寄せられ、その後の台風n日生でまた流星くんに降りたくなり、その後のごめんね青春でまた重岡くんに引き寄せられ、羊魂で重岡くんに引き寄せられ、なにわ侍で重岡くんに引き寄せられ、その後のようこそわが家へでまた流星くんに降りたくなって、、、の繰り返し。決められない女つらい。

でもそんなわたしが担降りを決めた。5月5日、横アリで。パリピボの横アリ公演2日目、わたしは過去で1位2位を争うくらいの良席だった。そこで流星くんを見て、やっぱり流星くんはきらきらしてて、「すきだな」って思った。重岡くんの団扇を持っているのに、目が行くのは流星くんばっかりで。流星くんから目が離せなかった。でも、重岡くんのことも裏切れない。だから最後、アンコールでのお立ち台でもし重岡くんが来たら、わたしは流星くんのことを見るのをやめて、これからずっと重岡担でいようと決めた(今思えばそんな運任せでよく担当決めようと思ったな自分)。でも神様ってすごいですよね。だって最後のお立ち台、わたしの前に現れたの、流星くんだったんですもの。落ちた。落ちる音がした。重岡くんの団扇を置いて、流星くんの団扇を持った。ふと、「あ、これが担降りなんだな」って思った。案外冷静だった。

担降りしてみて気持ちがすごく楽になった。ほんとはわたし、ずっと藤井担を名乗りたかったのかもしれない。重岡くんのことはだいすきだったけど、いつしかそれが義務になって、意地になっていたのかもしれない。

そして今年3月、藤井担になって初めての現場を迎えた。「現場に行けば元担がいる、もしかしたら元担に戻ってしまうのではないか」と不安だったけど、そんな不安はいらないほど、藤井流星くんしか見えませんでした。なんだか、ちゃんと藤井担になれた気がしました(笑)重岡大毅くん、今までありがとう。藤井流星くん、これからも末永くよろしくお願いします。